奈良市の小1女児誘拐殺人事件で逮捕された小林薫容疑者への極刑を望む声が世論で高まっている。
あまりに残虐な事件だった。
たしかに、刑罰を「犯罪者への処罰」という観点から見た場合、極刑は当然の罰だと思う。
最も苦痛を与えうる方法で処刑してほしいとさえ思う。
しかし、刑罰には「犯罪の抑止」というもうひとつの重要な役割がある。
その場合に、ぶっちゃけた表現をすれば「見せしめ」に極刑を処し、犯罪を試みようとする者を踏みとどまらせるという方法は、極刑を恐れるだけの判断力を持った者には有効かもしれないが、近年増加する、あまりに正常な思考からかけ離れ、尋常でない価値観を持った犯罪者にとっての抑止力にもなりえるのだろうか。
昔、レンタルビデオで見た映画・・・タイトルを失念したが(たしかキーファー・サザーランド主演作(あるいはエミリオ・エステベス?)だと思ったが、調べてもわかりませんでした)、異常殺人の犯人を追い詰めた捜査官が、被害者の家族に深く同情し、犯人が、異常者であることを理由として極刑を免れるのを避けるために銃殺してしまうのだ。
が、刑務所に新たに留置された別の異常犯罪者の、不気味な笑みを見かけた瞬間、「徹底的に異常犯罪者をプロファイリングして、世の中に新たな犯罪者を生み出さないためにはどういった教育・社会・環境が必要かを追究していくことこそ根本的な犯罪の抑止につながり、犯罪者の処罰に勝る優先事項」として死刑に反対した心理分析学者の言葉を思い出し、自分の判断が本当に正しかったのか葛藤するという、苦い後味のラストシーンが強烈な作品だった。
「犯罪の抑止」・・・新たな悲劇を繰り返さないことこそ、最優先事項とは言えないだろうか?
そのためにどうすべきか。
各分野の賢明な専門家たちの活発な議論を、心から望む。
↑文豪ドストエフスキーの不朽の名作。利己的な動機から殺人を犯した青年の罪と贖罪。多感な頃に読めば痛切に影響を受けるし、大人になって読めば、登場人物にさまざまに心を移入して、深い感銘を受けます。
聖娼婦ソーニャの自己犠牲的な愛情にも胸を打たれます。
想像以上にサクサク読破できるので、一度は読んでみて。
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