とかくゴシップの標的にされがちな英国王室に、先日またもセンセーショナルな話題をふりまいたチャールズ皇太子とカミラ嬢との結婚。
バツイチ同士、過去の教訓を生かして平穏な夫婦生活を送っていただきたいものですが、なにぶんにも、ダンナ様の元妻は「英国の薔薇」と歌われて、死後もなお愛され続ける故ダイアナ元妃。
で、賢明な女王様は、国民の心中を察せられて、皇太子の新夫人に「クイーン」の称号を与えないとの条件で結婚をお許しになるという、大岡越前の「三方一両損」をほうふつとさせるイキなはからいを施されました。
それにしても、故ダイアナ元妃の儚い生涯を改めて振り返れば、まさにマス・メディアを翻弄し、自らも翻弄され続けた一生でした。
1980年、33歳を迎えた皇太子のお妃選びはイギリスの一大関心事でした。
当時レディー・ダイアナは18歳。シンデレラ・ドリームを夢見た少女は、積極的にアタックしましたが、王子様はまだ文字通りの独身貴族生活をエンジョイしたいご様子。
しかし、すでに日本でもおなじみ、英国ゴシップご用達の『サン』誌が二人の関係を報じ、この可憐で美しいシンデレラ候補に強く加勢しました。
皇太子は、世論に後押しされるように翌年プロポーズをします。そして、二人の結婚式が大々的にテレビで中継されたのを皮切りに、ダイアナ・フィーバーは世界に蔓延、華麗なる「イギリスの広告塔」と呼ばれるようになりました。
けれども、退屈な王室生活に失望し、皇太子との関係が急速に冷えていくのとともに、マスコミとの蜜月期間も終わります。
摂食障害、秘密の恋・・・そして、1996年に離婚、と、相次ぐスキャンダル。
その後、地雷撲滅キャンペーンなどの精力的なボランティア活動に励む彼女の姿は、またしても、さかんに報道されることとなります。
マスコミとの友好的な共存関係が成立するかに思われました。
が、それもつかの間。
1997年、恋人とのドライブ中、パパラッチの追跡を逃れ、パリの高速トンネル内で車が支柱に激突。
いまだにさまざまな陰謀説が取り沙汰されるこの惨劇で、恋人は即死。
ダイアナ元妃も数時間後に出血多量で亡くなりました。享年36歳。
瀕死の彼女を救急隊が懸命に治療する間も、多くのカメラマンたちはシャッターを切り続けていたといいます。
華麗な英国の薔薇は、事故現場に駆けつけた医師の問いかけに、こう囁いたそうです。
「leave me alone」
・・・私をそっとしておいて。
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↑クイーン、クラプトン、デュラン・デュラン、デビッド・ボウイ他豪華スターがエチオピア飢餓難民のために立ち上がった伝説的ステージ。このチャリティーライブを支持した 故ダイアナ元妃も列席の中、世界にリンクして中継された壮大なプロジェクトが、ついに20年の時を経てDVD化されました。
2005年3月7日
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