プラハの春
1968年2月、「人間の顔をした社会主義」をスローガンに、チェコスロバキアの知識人たちが国民に民主化の推進を呼びかけた運動が起こりました。
これが世に「プラハの春」と詠われる政治改革運動です。
6月27日、市民たちは主要な新聞紙上に「二千語宣言」を発表し、その流れを支持することを表明。東京オリンピックで活躍した女子体操のチャフラフスカも名を連ねていました。
検閲廃止、言論や集会の自由、市場経済導入の試みなどが提案されると、他の社会主義諸国でも改革を求める声があがりはじめ、東欧は激しく動揺します。当時は、ドイツがまだ東西に分裂していた時代でした。
8月18日、チェコスロバキアを除くワルシャワ条約機構首脳会議は、軍事会議を決議。20日「チェコ事件」勃発。ソ連軍を主力とした同機構軍が侵攻し、改革派を逮捕、またたくまに全土を占領下に置いたのです。
ソ連駐留の下に発足した共産党政権により、「プラハの春」は終わりました。
やがて、1989年、「ビロード革命」と呼ばれる、無血の政権交代が実現。20年あまりの長い冬眠を経て、再び春の訪れ・・・。
そして、今年、2005年2月。新聞の片隅にこんな記事を見つけました。
「チェコ事件での武力介入に抵抗して死亡した犠牲者の家族や、負傷者に、チェコ政府が賠償を支払う法案が可決された」と。
それによれば、弾圧による市民の死亡は70人余、負傷者は700人以上にも及んでいたとされ、民主化推進派は、ビロード革命までのおよそ20年間、職場を奪われるなどの迫害を受けていたとのことです。
「春」は、暖かく待ち遠しい季節。耐え貫いた冬の季節が長く厳しいほど、尊く気高く、まぶしい季節です。
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