そのかけがえのない小さな生命のカタマリと出会ったのも、こんな満開の桜の木の下でした。
その頃はまだ(少なくとも子供たちへの体裁を取り繕うだけの余裕を持って)円満に見えた両親が、桜の古木が立ち並ぶ花見の名所に連れて行ってくれたのでした。
そよ風にときおり負けてヒラヒラと舞い降りてくる薄いピンクの花弁、それより少し濃い色の柔らかい敷布を広げて、父と母、ぼくと弟、仲良く円になった真ん中に黒塗りの三段のお重を囲んで。だし巻き卵のきれいな黄色がアクセントになった美味しいごちそう。
思えばできすぎた風景でした。
ひととおり味見をすませてから、弟を連れて沿道の屋台を見に行きました。
にぎわう出店通り。柔らかい手をひっぱりながら、お目当てのチョコバナナを探して、人ごみをかきわけました。
そのとき、靴の先になにかがぶつかったのです。
「キャインッ!」
と、思いがけない悲鳴が足元から聞こえました。
それがサクラとの出会いでした。
動物好きの母は困ったように首をかしげながらも、優しく笑っていました。
ぼくは、小さな毛むくじゃらのカタマリをしっかりと両手に抱えて、その温かさをとらえながら言いました。
「ちゃんと全部、面倒みるから。飼っていいでしょ?」
「お願いだよ」と、弟も加勢しました。
父は、缶ビールを片手に、少しだけ赤くなった顔をしかめました。
「動物を飼うのは大変なことなんだぞ。子供じゃ面倒見切れないんだ。ムリなんだ。できない約束を軽はずみにしちゃいけない」
ぼくは、ぐっと下唇をかみました。母が、非難するような目つきを父に向けたことを、なぜだか覚えています。
すると弟が、
「じゃあ、お父さんとお母さんに手伝ってもらって飼うから。ぼくとお兄ちゃんとで、できる世話はちゃんとするよ。それなら約束を守れるから」
父は思わず破顔しました。
「それじゃあ、ずいぶんムシのいいお願いだなあ。だったら、お母さんにもきちんと頼みなさい」
「お母さん。この犬飼ってもいいでしょ?この子の世話するの手伝ってください。お願いします」
泣きそうな声で訴えると、母はそっと両手を広げました。
弟は、母に良く似た白い顔に霞むような笑顔を見せて、その胸に飛び込みました。
「ありがとう、お母さん。大好き」
おとなしく震えるだけの小さなぬくもりを抱きしめながらも、胸の奥がちくりと痛くなったような気がしました。
*
子犬は、全体の色は茶色で、耳と鼻先と尻尾が黒く、形のいい三角の耳をしていましたが、その耳はたいてい下向きにたれていました。
鋭い聴覚で何かを聞きつけたような時だけ、反射的にピンと上に立ち上がりました。
その様がとても可愛らしくて、家族はいつも、わざと遠くから名前を呼ぶのです。
「サクラ!」
サクラの木の下でひろったことと、あこがれていたロックバンドのボーカルが『櫻井』という人だったので、そこから名前を付けました。当時、小学校高学年のぼくらのクラスでは、そのバンドがものすごい人気だったのです。
オスなのに変な名前だと弟は文句を言いましたが、ゆずりませんでした。年長者の特権ってやつです。
サクラは、はじけるように振り向き、子犬特有のコロコロとはちきれそうな丸っこい体をゴムマリみたいに弾ませて、一目散に走ってきます。
そして、足元にちょこんと座り、ぼくの顔を見上げるのです。くりくりの黒い目玉をキラキラさせて。
本当にかわいいヤツでした。
雑種とはいえしつけも良くでき、大変頭のいい犬でした。
サクラが家に来てから1年近くたったとき、もう子供の腕には抱えられないほどの大きさの立派で俊敏な犬に成長していました。顔の形や体つきは、シェパード犬に良く似ていました。
その日は日曜日で、小学校の入学を間近にひかえた弟が、その準備を整えるために母に連れられ出かけたので、サクラを連れて一人で公園に行きました。
冬に逆戻りしたような寒い朝だったせいか、人影はありませんでした。
小走りに尾を振ってついてくるサクラの口元からも真っ白い息がこぼれました。
低木にリードを引っ掛けて、近くのトイレに入ると、外から声が聞こえました。
「ねえ、ここで待ってるの?お利口だねえ」
通りがかりの女の子がサクラをかまっているようです。
手洗い場の小さなくりぬき窓に背伸びして様子をうかがうと、3歳くらいの女の子がサクラの頭をなでていました。
サクラはちゃんとお座りしたまま、嬉しそうに尻尾をパタパタして、小さな白い顔を見つめていました。
「ナナちゃん、ワンちゃんにパンあげるからね」
もう片方の手に握りしめていた食べかけのメロンパンを、犬の鼻先に差し出しました。
とたんにサクラは、ふいっと顔をそむけたのです。尻尾はピタリと静止して、行儀良く前足をピンとそろえたまま、彫像のように動かなくなりました。
「おいしいよ。食べていいんだよ」
女の子は怖じ気なく、自分より大きな犬のそむけた口先になおもグイグイと押し付けましたが、サクラは気高く遠くを見すえたままピクリともしません。
「もういい。ナナちゃん帰るもん」
ナナちゃんは、好意を拒絶されて傷ついた、まさしく侮辱を受けた女性そのものの、羞恥と怒りと淋しさに赤面した表情で、走り去りました。
ひっそりとトイレから出てきたぼくに気付いたサクラは、まだ、誇らしげな、少し申し訳なさそうな目をしたまま、ピンと耳をたてて尻尾を振りました。
そして、ぼくがポケットから出した犬用のビーフジャーキーの切れ端を、「待て」を言うより先にひと飲みしてみせました。
*
その夜のうちに両親の離婚は決まりました。
母が、有名私立小学校に通うことになった弟と、学校のすぐ側に家を借りて別居すると言い出したのが始まりでした。
もう住居も見つけてあるというのです。
父は、だったらもはや夫婦でいる意味もないと静かにため息をつきました。
地元の公立小学校に通うぼくは、そのまま父と残ることになりました。
二段ベッドの上下で最後に過ごしたその夜、弟はいつまでも泣きやみません。
ぼくは、はしごを降りてその布団にもぐり込み、きゃしゃな肩を抱き寄せました。赤ちゃんみたいな匂いがするなと子供心に思い、決心しました。
「サクラは連れて行っていいから。だから、もう元気出せよ」
弟は、はげしくしゃくりあげながらもぼくの腕の中で小さくうなずきました。
すすり泣きが規則正しい小さな寝息に変わるまで、ぼくは身じろぎせずに暗闇を眺めていました。
*
それから2年あまり、弟も母も一度も帰ってきませんでした。
ぼくもなんとなく意地になり、こちらから会いに行くことをしませんでした。
かといって、父と2人の生活が以前より快適でなかったとは、決して言えません。
曽祖父の代から続く貿易会社の役員である父は、父子の暮らしに支障のないよう、良く気のつく通いのお手伝いさんを雇い入れましたから。
健康的に太った陽気な笑い声のおばさんで、ぼくのことをとてもかわいがってくれました。
公立中学に進学したばかりの、その日。
帰宅して、慣れない制服のネクタイを不器用にはずしていると、おばさんのすっとんきょうな叫び声が庭から響いてきました。
「あらまあ!坊ちゃん、来てください」
2階の窓ごしに見下ろすと、チューリップが咲き乱れた花壇の真ん中に、やせたみすぼらしい犬が横たわっていました。
転がるように階段を駆け下りて、そのまま庭に飛び出しました。
サクラは、ゼーゼーと苦しげに息をしながら、瞳だけを動かしてこちらを見ました。動くことすらできないのです。
ゾッとしたのは、その後ろ足が信じられない方向に折れ曲がって、腰にぶら下がった荷物のように投げ出されていたことです。
「なんてかわいそうに。誰かにいじめられたのかい?」
おばさんの言葉で、全身が凍りつきました。
もしや、母と弟に異変が起きたのでは?
ハイヤーを呼びつけ、母がこっそり教えていった住所に急ぎました。
道路はすいていましたが、30分以上かかりました。こんな道のりを、折れた足を引きずりながら走ってきたサクラ。
とめどなく広がる不安をおさえながら、瀟洒でモダンな家の前に降り立ちました。
インターホンは返事がありません。さいわい鍵もかかっていません。かまわず土足のまま、急いで中に入りました。
玄関の先のリビングに足を踏み入れると、そこに、頭から血を流している見知らぬ青年と、全裸の弟が、うつぶせに倒れていました。
投げ出した青年の左手の延長線上に、ヤカンが転がっています。
全裸の子供の青白い横顔から背中にかけて、正視できない、赤いただれた火傷が生々しく描かれていることとの因果関係は、容易に察しがつきました。
ただちに救急車で搬送された病院で治療を受け、2人の重傷者は、翌日までに意識を取り戻しました。
のちにその証言と警察の捜査等で判明した事実はこうです。
頭から血を流していた青年は、弟が小学校に入学した当時からの家庭教師でした。
官僚を多数輩出するので有名な国立大学の大学院に籍を置く秀才で、はじめは週に3日程度の訪問だったのが、その肩書き(と、恐らくは見栄えのいい容姿と)を母に見込まれて、週のほとんどという頻度で訪れるようになり、ついには泊りこんでいくようなことも多くなっていったのです。
その頃から、感受性豊かな表情を持った男の子は、だんだんに無口になっていきました。
母は、弟が学校から戻るよりずいぶん早い時間から家庭教師を招きいれ、歓談を楽しみました。そして、帰宅した弟と入れ違いに、彼らの授業のさまたげにならないために、エステサロンやスポーツクラブで時間をつぶし、デパートの地下街で高価な出来合いの惣菜を買い込んでから帰宅するのでした。
家庭教師の労をねぎらい、夕食をともにして、このところ少食になった息子を早々に寝室に見送ってからは、2人でゆっくりワインを楽しんでいました。
サクラは、以前は家族と一緒に屋内で暮らしていたものが、庭の片隅にずっとつながれっぱなしになって、すっかり元気をなくしました。弟が、それだけは朝に晩に欠かさず与えていたエサにも、やがて見向きもしなくなりました。
やせこけて薄汚れた雑種犬は、変わりゆく母子の生活をどんな思いで見つめていたのでしょう。
*
母が家を留守にしたとたん、家庭教師の態度は豹変しました。
彼のおぞましい行為をつまびらかに説明するのははばかられます。
とにかく彼は、きゃしゃで小柄な子供に、性的な虐待と暴行を繰り返していたのです。
「告げ口したら母親もひどい目にあわす」と脅して。
そしてあの日、もはや日常化した秘密のゲームがまた繰り返されようとしていました。
いたいけな主人の悲痛な叫びがどんなにか細くても、聞き逃すはずもなく、サクラは決死の断食で骨と皮ばかりになった頭部を、(たぶんこれまでにも幾度となく試みたように)ふりまわし、そしてついに頑丈な首輪から逃れることに成功したのです。
ええ、ぼくはそう信じています。あの頭のいい忠実な生き物は、その瞬間のために空腹を耐え続けたのに違いないって。
それから一目散に、換気のために開放してあった洗面所の高窓に飛びついて屋内に入り込み、たちまちリビングに駆けつけました。
ソファのすみっこでおびえる裸の子供にのしかかった青年が気付くより早く、その腕にかみついたのです。
青年は悲鳴をあげて、力任せにサクラをふりほどき、投げ飛ばしました。
やせ衰えたサクラはコンクリート製の壁に激しくたたきつけられて、ぐったりしてしまいました。
唐突に、笛吹きケトルの場違いな音がキッチンから響き渡り、緊迫を破りました。
青年は悪態をつきながら、すさまじい笑顔を浮かべたそうです。火から下ろしてもまだ小声で歌い続けているヤカンを手にぶら下げ、サクラに近づきました。
後ろ足を骨折したサクラは、低いうなり声をあげるしかできませんでした。
青年の異常な衝動は、完全に見境をなくしてしまいました。
そのとき、震えて縮こまっていた弟が、ソファから飛び降りて、横から青年に体当たりしたのです。
ふいをつかれた青年はよろめき、マントルピースの角に強く頭を打ちざま、倒れました。
が、はずみで空中に放り出されたヤカンの熱湯は、弟の上に容赦なく降り注いだのです。
やせて、衰弱しきって、傷を負った犬は、立ち上がりました。
無垢な愛情だけにすがって。
ひたすら風のように疾走しました。折れた後ろ足をぶら下げたまま、ただ、ひたすらに。
*
さいわいにも、お手伝いのおばさんが、3人の子供を立派に成人させたたくましい両腕にかき抱いて、サンダル履きのまま近所の動物病院に駆け込んでくれたおかげで、サクラも一命をとりとめました。
弟は、退院したらそのまま父と僕の待つ家に戻ることになりました。
母は、復縁を勧める父を断り、実家に帰郷しました。それきり、今までずっと会っていません。
空港まで見送りに来たぼくと父を、最後に振り返ったお母さんの上品できれいな横顔は、羞恥と(おそらくは母自身に対する)怒りと淋しさに、上気しているように見えました。
母は、スマートで社交的な家庭教師の、仮面の裏に気付いていたのでしょうか。
気付いていたのに、その仮面で演じられる甘い芝居を中断したくなくて、自らも“無知”の仮面で真実を覆っていたのでしょうか。
*
こんな満開の桜の樹の下に立つと、つい思い出してしまうのです。
ぼくは、やがてこうして、いずれ父のあとを継ぐ為に、彼の側に仕えて仕事を覚えるようになりました。
弟は、大学を出て、児童福祉センターに勤めています。ええ、あの火傷のせいで顔の右半分にひどい傷跡が残っていますが、不思議と、そこにやって来る子供たちはみんな、彼にすぐなついてくれるそうですよ。
サクラは、あれから15年、家族とともに暮らしました。
後ろ足を少し引きずるようになりましたが、他は元気なものでしたよ。
年を経るほどに、誇り高く、思慮深く、この上なくやさしい黒い瞳をキラキラさせて、ぼくらを見上げていました。
そうして、ある晴れた朝に、静かに逝ってしまいました。
お気に入りのピンクの敷布の上に丸くなったまま死んでいったんです。とても安らかに。
こんな満開の桜の樹の下に立つと、いつでも飛んできそうで・・・ゴムマリみたいに元気な、茶色い毛むくじゃらのカタマリが。かけがえのない優しい命が。
END
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