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505号室 結城 大和(ゆうき やまと…男性24歳)
クライアントとの商談から帰宅すると、マンションの前にパトカーが数台停まっている。
何事だろう?
エントランスで制服警官に尋ねた。
605号室で殺人事件があったという。オレの真上の部屋じゃないか。
部屋に戻って、いやな気分で天井を見上げた。
テレビをつけると、ちょうど夜のニュース。
被害者は、山戸 由紀という30歳の独身OL。画面に映る写真は、派手な外見のなかなかの美人。かわいそうに。もったいない。
整然とした現場状況から見て、犯人はいわゆるプロの殺し屋らしいとのこと。中にいた被害者が玄関のドアを開けたとたんにサイレンサー銃でドンと一発。そのまま立ち去った様子。
交際範囲が広く…てことは男関係が活発ってことだな…知人らを重点的に捜査しているとのこと。
「ふーん」男がらみか、金がらみか。
すぐに興味を失って、吸いかけのタバコを灰皿にもみ消し、缶ビールを取りにキッチンに行きかけた、が、
『…現場マンションのエレベーター内に、犯人が落としたと見られる遺留品が発見され…』
しわのついた紙片が画面に映った。便箋の切れ端のような淡いピンクの紙きれ。
ボールペンを使ったらしいひどい悪筆で、なぐり書きのメモ。
“605 YAMATO YUKI”
淡いピンクの紙切れのすみに、イラストの印刷が見える。
少女趣味まるだしの花のイラスト。
微妙に古ぼけたセンスの便箋…間違いない。
オレは、ソファに再び腰を落として、タバコをくわえた。
時代遅れのレターセット100枚にわたる恨み言・哀願を、楚々とした外見からは思いもよらぬ汚い字で書いて送りつけてきた、あの女だ。
オレを殺そうとしやがった!
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数あるクライアントの中でも一番の上客だったと言っていい。かつては、だ。
他の大多数のクライアントと同じく、オレのホームページにアクセスしてきて知り合った。
オレの仕事は、いわゆるデート屋。クライアントの依頼を受けて、恋人のふりをしてゴージャスでロマンチックな、お好みのデートに付き合ってやる。もちろん全ての経費は報酬とは別にクライアントが支払う。
他のデート屋が、ビジネスライクでドライに業務遂行するのに対して、オレは、もっとハートフルに彼女らを接待する。というか、はなからそれが目的。
仕事以上の気があるふりをして、食い物にする。骨までしゃぶり尽してから捨てる。
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彼女は、大手の製薬会社に勤めていた。短大を卒業してから20年と言ってたか。孤独で地味な日々と引き換えにコツコツ8ケタ単位にまで貯めていた通帳の数字を、オレが、出会って1年でマイナスにした。
彼女が望んでしたことだ。「あなたのために」と。
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どうせ殺し屋もインターネットで見つけたんだろう。ターゲットの名字と名前を逆に指示してあるところを見ると、外国人でも雇ったのか。念のいったことだ。
しかし、部屋番号を示したあの見づらい字のせいで…そうだ、あの悪筆では確かに“5”を“6”と見間違えるはずだ…間抜けな殺し屋は、1フロア階上の部屋に行ってしまったんだ。
オレの真上の部屋に。
さっきのニュースで見かけた被害者宅の玄関前の映像では、ネームプレートに
“YAMATO YUKI”と日本式表記で刻まれていた。
お膳立ては揃っていたわけだ。
オレは自らの強運を祝い、被害者の不運を弔うために、改めてビールを取りに立った。
それにしてもあの女、勘違いで見知らぬ他人を殺した結果になったのだし、大人しくあきらめてくれないかな。
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506号室 大杉 興業(おおすぎ おきなり…男性27歳)
玄関のチャイムが鳴った。
「ダイワ…コウギョウさん?」
配達員が、小包に貼付されたくしゃくしゃの送り状に必死に目をこらして尋ねた。
「大杉ですけど」
僕はムッツリと答えた。下の名前を読み違えられることはよくあるが、氏名とも間違えられるのははじめてだ。
若い配達員は頭をかいた。
「すいません。あんまり汚い字で書いてあるもんだから」
「ハンコ?」
僕がうながすと、
「あ、はい。エックスワイ製薬」さんからの荷物ですけど…これ、“506”で間違いないですよね?」と、送り状を目の前に差し出してきた。
たしかに汚い字だ。
メガネのフチをおさえてのぞきこんだ。まれに見る悪筆。氏名は明らかに“大和興業”なる企業名にしか見えなかったし、号室も
“505”とも
“506”とも見てとれる。
配達員がすばやく隣室の玄関前のネームプレートを見に行ってから、納得したような笑顔で戻ってきた。
「お隣は“結城”さんて名字ですね。だから、こちらのお荷物で間違いない見たいです」
…そういえば、
「こないだインターネットで、なんかのアンケートに応募したな、たしかドリンク剤の試供品なんかが当たるとかいうやつ…」
「ああ、たしかに。そんな感じですよ」配達員は、荷物を軽く振ってみせた。
カラカラと、小さなビンが数本入っているらしい音がした。
僕は受領印を押して、アンケートの末等景品を受け取った。
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505号室 結城 大和(ゆうき やまと…男性24歳)
昨夜はクライアントの一人と商談が盛り上がり、夜明けまでホテルの一室で過ごした。
まだ酒の匂いが残っていたから、マンション前のパトカーを避けるように少し遠回りの半円を描いて、赤いスポーツカーを地下パーキングにすべらせた。
エレベーターで5階につくと、隣室の前に制服警官やら私服刑事(とおぼしき男たち)が数人いる。背筋がぞくりとした。
「…お隣に住んでる方?」
やぶにらみの小男に呼び止められた。
「505号室のオオスギオキナリさん…中で変死体で発見されましてね」
「ええっっ!?」
「同居の女性が明け方近くに帰宅されて発見なさってんですが、どうやら、そのう、毒物を飲んで亡くなった様子なんですわ」
オレは、隣人とは面識がないが、よき一市民として、当局の聞き込みが来たらできる限りの協力を惜しまないことを告げて自室に戻った。
「まさかなあ…」
動揺を鎮めるべくきつい洋酒を迎え酒に浴び、ソファにへたり込んだ。
いくらなんでも、またもや人違いなんて。あるわけない。
そのとき、電話の呼び出し音が、リビングの静けさを破った。
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オレは、ビクリと反射的に立ち上がり、受話器をつかんだ。
IP電話の呼び出しは、仕事用の回線だ。
夕べのクライアントが新たな投資を持ちかけてきたのかも。
今度は高級時計か、スーツか。思い切ってヨットでもくれないかな。
口元に笑いを忍ばせ、口調はあくまで落ち着いたビジネスマンのそれで、答えた。
「はい。ヤマト興業カンパニーです」
“ヤマト興業カンパニー”がオレの名刺を飾る社名だ。いかにもかしこまった雰囲気でいいじゃないか。
「もしもし?」
耳をこらすと、ようやく受話器の向こうから聞こえてきたのは、すすり泣くようなつぶやき。
「今度こそ!」うらめしげな女の声。
それきり切れた。
オレは、ガックリと肩を落とした。
…まるで死神だな。見知らぬ隣人たちよ、用心しろ。
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類まれなる悪筆が、無差別殺人を繰り返す。
“ペンは剣よりも強し”とは良く言ったものだ。
END
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